おすそわけ

タヒチの人々に教えてもらった大切なこと。広島の原爆の経験から教えてもらったこと。日々沢山のうれしい出会いの中で、見たこと聞いたこと、考えたこと。おすそわけ。

韓国が好きだ

韓国に行ってきました

3月15日~3月24日まで、JENESYS2015 日本学生訪問団として韓国に行ってきました。 まだまだ考えたことや感じたことを整理できていませんが、しっかり落とし込んで言葉にしていきたいと思っています。
今回の研修を経て、私たち団員には「発信する」という使命があることを痛感しましたので、頭と心の中に雑多に混在している新鮮な言葉たちの中から、今一番「発信したい」ことを書きます。
私は大学1年生の頃から、ひょんなことがきっかけで『アンサンブル・コントラプンクト』というアンサンブルグループの中でバイオリンを弾かせてもらっています。
洋楽器と朝鮮楽器のアンサンブルで朝鮮民謡から日本のポップス、クラッシクまで幅広く演奏してきました。 活動の中では、日本と朝鮮半島のつながりについて、音楽や在日コリアンといった視点から考えることが多くありました。

演奏活動を初めて以来、在日コリアンとして生きる人びととの出会い(彼らが例えもし在日コリアンでなくても出会っていたかもしれないし、変わりなく大好きで大切である)が増え、私にとって「在日コリアン」という響きはまるで自分のことのようになりました。
また、いろいろなところで在日コリアンであるおじいちゃま、おばあちゃまにも出会ってきました。彼らの祖国への思いにもまた心を打たれることがしばしばありました。

しかし韓国の伝統的な楽器の音色や音楽に触れ、美味しいコリアン料理を食べ、その美しさや素晴らしさに魅了される一方で、私が韓国に抱くイメージを一言で表すならば「複雑」というのがぴったりでした。 韓国・朝鮮人被爆者のはなし、第二次世界大戦以前の日本と韓国の関係、戦後補償のこと、現代の日韓外交関係、ヘイトスピーチなどなど、「韓国」「朝鮮」と聞くとそういう問題点とかネガティブな側面がたくさん頭に浮かんでくる。その度に日本人の反韓感情・韓国人の反日感情が垣間見え心が痛めつけられる。そしていつも在日コリアンである大切な人たちの顔が浮かび、心の内を想像しては悲しくなり、どうしていいかわからなくなっていました。
私にとって韓国は「大切な人たちの祖国」でした。「複雑」、だけど大切。 今回の研修は、大学に入ってから私をつくりあげてくれた大好きな人たちの祖国に、自分の目で足で肌で触れたいという私のかねてからの想いを叶えるものでした。自分で触れたい。そうして感じることを信じたい。そういう思いでのぞみました。
韓国では、 慶熙大学校をはじめ多くの方にお世話になりながら、学生との交流・文化財の見学・大使館や政府機関への公式訪問・文化体験など本当にたくさんの経験をしました。一緒に参加した18人の学生メンバーと、引率の先生、団長の先生とも毎日毎晩いろんな話をしました。 (研修の様子はコチラからどうぞ⇒https://www.facebook.com/japankorea... )
韓国で間違いなく私のなかに芽生えた感情は「韓国が好きだ」というものです。
私たちを歓迎してくれた大学の先生方の心遣いに幾度も助けられたし、出会う大学生は日本語を一生懸命勉強していて本当に話すのが上手だったし、交流の時間に出会った学生はソウルの中を一日中案内してくれて日本語でたくさんのことを教えてくれたし、民族村で見たサムルノリの演奏は美しくて涙が溢れたし、ホームステイした先のご家族と近所のみなさんは韓国語の話せない私でもずっと楽しくいられる時間をつくってくれたし、結婚式で着た大事な韓服を着せてくれたし、ご飯はおいしすぎてめちゃくちゃ太ったし、たくさんのお酒を飲ませてくれたし、道路にごみは少ないし、夜道も安心して歩けるし、政治の話だって歴史の話だって一生懸命理解しようとしてくれたし(しようとしたし)、「こんにちは」と挨拶してくれる街の人びとがいたし、伝統的な建築物はこちらが圧倒される迫力を持っていたし、あらゆるところで使われるカラフルな色彩に惚れ込んでしまったし、何より何より出会う人たちがみんな本当にあたたかかった。
「好きだ」を通り越して愛おしささえ感じるようになった。
私は、私の心と体を使って出会った韓国のことを心から「好きだ」と思っています。 今まで感じてきた「複雑」という印象とその事実を「好きだ」という気持ちが消してしまうわけではありません。むしろその複雑さを捉える視座が増え、より混沌とした思いが生まれています。 今回の研修で出会ったものが、たまたま好きなものばかりだったということもあり得るでしょう。でも、こんなにも好きだと思えたこと、これも私にとって、一人の日本人としてとても有意義な揺るがない事実です。
この「好きだ」という気持ちを信じさせてくれたのは紛れもなく韓国で出会った人たちと、この研修を支えてくれた人たちと、一緒に体験を共有した17人の団員たちでした。
目の前にあるものを素直に素敵だと思い、感動し、言葉にし、写真を撮り、笑顔になる。 なんのレッテルを貼ることもなく、何かを求めるわけでもなく、受け止めて共有する。 難しいものがあることくらいわかってる。だけどそれを乗り越えるとか乗り越えないとかそういうことじゃなくて、ただ、出会う。出会って考えて表現する。 それぞれの思いのたけを語り、刺激を受けて、共感する。背伸びもしないし萎縮もしない。 年齢も国籍も背景もなく1人の人として開放的に、だけど真摯に向き合う環境があったからこそ得られたものでした。
私たちの派遣のテーマとして「交流」というものがひとつ掲げられていました。 お互いに違うものを持っている。違うというスタート地点から、違いを認識し、考え、それを相手に伝える。似ているものを探して納得しようとすることは、交流とは呼ばない。

また研修の中で日本と韓国のことを擬人的に捉えることが幾度かありました。
「わかり合えないことがあるからわかろうとする」
「近すぎるから衝突してしまう。衝突は終わりを告げるものではない。」
「違うとわかっているから、違いを受け止めることができる」
私は、大好きな人たちの祖国である、そして私自身が好きな韓国と日本との関係がよりよいものになることを願います。その気持ちは研修に参加する前からも持ち続けていましたが、今は考えれば胸が締め付けられて体があつくなるほど大きく大きく膨らんでいます。
「好きだ」という発見と、これらのことを手掛かりとして、また、この度生まれた大切な繋がりの芽を育んでいくべく、日々暮らしていこうと思っています。
 
2016年3月25日