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おすそわけ

タヒチの人々に教えてもらった大切なこと。広島の原爆の経験から教えてもらったこと。日々沢山のうれしい出会いの中で、見たこと聞いたこと、考えたこと。おすそわけ。

そんなにキレイなもんじゃない

今日、「広島市原爆被爆者の会」というところの交流会にお邪魔しました。
オバマ来訪を機に、広島の中で起きていることを感じ取りたいと思いまして。
20名ほど参加者がいたかと思うのですが、各々、それぞれの感じ取ったことをそれぞれの言葉で話す時間でした。

会の総意ということではありませんが、被爆者と、その活動や趣旨に共鳴する人たちが発していた言葉の中に印象的なものがいくつかありました。
その方の本当の意図とは違ったかたちであるかもしれませんが、考えさせられることがあったので一部共有したいと思います。

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オバマさんが来ると聞いても喜ぶ気にはなれなかった。来られることを歓迎はするが、複雑な気持ちだった。家族や親族全員を原爆で亡くした祖母が、アメリカが憎いと言って死んでいったことが離れないからだ。けれど憎しみは憎しみしか生まないと思う。」

「私はアメリカを永遠に許さんよ。だから永遠に謝罪は求めんよ。」

「被爆者が許して和解したかのようにされて、歯がゆい。許しちゃおらんよ。」

「最初はアメリカが憎かった。けれどアメリカの人たちに何度も証言をして、ごめんなさいと言われたり、ありがとうと言われたり、優しい人たちに出会うなかで、憎しみは憎しみしか呼ばない改めた。」

「被爆者が訴えてきた71年があったから、実現した来訪であった。」

「不満もいろいろあるけれど、オバマさん云々を乗り越えて、私たちは伝えていくんだという気持ちです。」

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謝罪は求めないということに含まれる当事者の心の内は、理解されていないのだという声もありました。

許しているから、もう憎まないから謝罪は求めないというのではない。
「過去のことはいいから」「憎んでも仕方ない」という言葉の裏に、表に出ないどれだけのおもいがあるんだろうと感じました。
言葉の端を、良いように解釈することは簡単ですが、慎重にならねばなりません。

ここに挙げられたものが、広島の被爆者の声であるとも限りません。
歓迎すると言った人たちを否定するわけでもありません。
しかし、今回のオバマ来訪によって、そしてその演出によって、確かに存在した声が聞こえなくなるかもしれないと危機感を覚えています。

首相官邸のホームページで広報されている動画がコチラです。
https://www.youtube.com/watch?v=ivP1bzSKN_U

「日米両国は、70年の時を経て、心の紐帯で結ばれた「希望の同盟」となりました。」

この「舞台」になった広島で70年の時を過ごした人たちにとって、今回の出来事はそんなにキレイなもんじゃない。