おすそわけ

タヒチの人々に教えてもらった大切なこと。広島の原爆の経験から教えてもらったこと。日々沢山のうれしい出会いの中で、見たこと聞いたこと、考えたこと。おすそわけ。

「オバマ来広」を受けて感じていたことをとりあえず記しておいてみる。

オバマが来た。

オバマが来たことにたくさんの私の仲間たちが自分の言葉で広島と向き合っていることを受けて、「私も何か書かねば」と思い立ち、パチパチとキーボードを打ち始めました。

 

何かメッセージ性を持たせようと思ったが、そんな力は私にはなかった。

2016年5月を、ちょっと問題意識を持って「広島の若者」というアイデンティティを持って過ごした1人の記録として、何年か経ってから見直したいという、ただそれだけのものですし、自信がないので語尾にちょろちょろといろんなものがついていますがご勘弁を…。

 

私は

まず、私がどういう人でこういうことを考えているのかを伝えるために簡単な自己紹介を。

23歳。社会人1年目。

学生時代は、自分でもなぜかよくわからないけれど、被爆者のおじいちゃんおばあちゃんとわりと時間と心をつかって話をしてきた。

「継承するってなんだ」「広島の心ってなんだ」を自分自身と周りとに問いかけながらちょっぴりだけど同世代と被爆者世代の間の橋渡しができればと思ってやってきた。被爆者と一緒に20か国くらいまわったりもした。

詳細は省略。

 

オバマさんに来てほしい。」

広島では私が覚えている限りずっと「アメリカの大統領に広島に来てほしい」みたいな活動がある。その活動は特定の誰かがやっているというよりも、メディアが積極的に後押ししていたりするので、本当にそこら中に転がっている文句みたいなもんだと思っていた。こんなに盛り上がりを見せる前からずっと、広島には「オバマさん是非広島にいらっしゃい」という雰囲気は多かれ少なかれあった。

 

「平和系の活動してる人」みたいなカテゴリーに私は含まれるらしく、そういう人は「オバマさんに来てほしいと思っている人」とほぼイコールらしかった。

そのため私は学生時代に幾度も「オバマさん、来てほしいですよね」と言われた。

「そうですよね」と答えていたけれど、実際のところ、あまり(というかほとんど)興味がなかった。

オバマさんに来てほしいという一言をどうぞ」みたいに、なんの前ふりもなくインタビューされることもあった。

その度に違和感があった。私がいつ「オバマさん来てほしい」って自分で言ったことがあっただろうか。

 

オバマが来る。」

そういうニュースが目に飛び込んできた時、いつもと同様に興味が湧かなかった。

今回興味が湧かなかった理由は、オバマさんが来て何かが変わると思えなかったから。

オバマさんが来れば核兵器がなくなると思えなかったし、オバマさんが来れば被爆者が救われるとも思えなかったから。

 

しかし次に目に飛び込んできたのは、「歓迎」の文字だった。

日本も歓迎する。広島も歓迎する。被爆者も歓迎する。

なにを歓迎しているのかよくわからなかったので、ちょっと調べてみると、「現職の大統領が広島にくるなんてすごい勇気のある決断だ」「見て、聞いて、感じて、そしてその思いを持って帰ってほしい」「核廃絶の原点広島に立ち、核廃絶の大きな一歩としてほしい(そうなるだろう)」ということだった。

被爆者が「歓迎だ」と述べているインタビューもあった。

なるほど。歓迎かもしれないと思ったが、やっぱり受け入れられなかった。

 

そしてその次にデカデカと現れたのが「謝罪はしない」ことだった。

日本も広島も被爆者も謝罪を求めないし、オバマさんも謝罪をするつもりはない。

そんなことがオフィシャルに掲げられて、その前提を「大賛成」のような雰囲気で歓迎するとは、どういうことだろうか。

ちょっとまたこれも受け入れ難かった。

 

私の知っている限りでは、被爆者だけでなく広島に生きる人の多くは原爆によって人生を変えられている。当時広島にいた人たちには、もちろん健康的に重大な被害を受けたひとがたくさんいる。健康面だけでなく、精神面でも相当な苦難を受ける羽目に合っている。

紛れもなく多くの人が虐殺されたし、家族や身近な人を失った人たちはその数だけいるわけで、生き残ったとしても、生き残ったこと自体に背負いきれぬ罪悪感を持っている人たちもいる。

わたしの感覚では、アメリカの大統領は、アメリカのしてきたこと・していることに責任のある重大な人物である。原爆は、「落ちてきた」ものではなく「落とされたもの」だと思っている。オバマさんが原爆を落としたわけではないが、そういう自国のしてきたことを自覚し、それを背負う立場で振る舞うことを求められている人だろう。その人が「謝罪をしない」ことが公然と認められていることに、もやっとした。

 

話は逸れるが、

海外に行くと私は「どこから来たの」と聞かれて「広島だ」と答える。「おぉ広島」と言われて、様々なことを質問される。その度に持っている限りの経験と知識を使って説明し、配慮できるだけのことをしてコミュニケーションをとる。アメリカの人には「ごめんなさい」と言われたことが何度もある。それは言わなくちゃいけないとか、言ってほしいとかそういうレベルのものではない。そういうやり取りが起こるのである。

また私は日本が加害者となった現場をいくつか訪問したことがある。その土地に立った時、私は日本人として見られていることを意識する。例えば日本が自転車を使って侵略しようとしたシンガポールでは原爆の話をする前に「ごめんなさい」と言わないでは始められなかった。そういう気持ちになった。

そんな体験があるものだから、今回「謝罪をしない」ことが掲げられている訪問に、心のこもった発言が期待できるとは思わなかった。明らかに政治的な訪問であるとここで確信した。

それでもオバマさんは人だからと、人として向き合ってほしいという人びとの声には共感した。何か感じるものもあるでしょうと。

 

政治的だなと考え始めたとき、一気にこわくなった。

オバマが来る。」それは広島に根差している莫大な量のちいさなものたちに一つの枠があてはめられて、そこに入らなかったものや入れたくなかったものは、なかったもののように扱われるような、そんな事件な気がしてきた。

外から大きな力がやってきて、「ヒロシマ」を定義づける。

そこにこれまで広島に存在していた人間たちの存在はほとんどない。

かたちづくられて、きれいに整えられ、何らかのかたちで権力を手にしているか一般的にわかりやすかったり美しいとされているものだけが、「ヒロシマ」として現れる。

そしてそれをうまく「ヒロシマ」と丸め込み、そして次に「ヒロシマ」というときには「ヒロシマ」は別のものになっている。

確かに存在していたものが、「ヒロシマ」とは別のものとされてしまう。そんな危機感とどこにもぶつけようのない焦燥感をおぼえた。

 

すごく大ざっぱな言い方だが広島はいつも利用されている。

「平和都市」は都合がいいんだろう。これまでも何度も広島がヒロシマであるから利用されてきたのを見てきた。

都合よく解釈したヒロシマを、都合よく言葉で飾って、意味づける。

そこに広島のリアルな人びとの姿はない。

 

わたしはその利用される様子を見て、そこに収まりきらないほどのリアルな人の姿があることを忘れまいと思った。

そのリアルな人の姿は、力を持つ人たちに都合が悪かったり、そもそも表に出ていなかったり(出ていないことは問題ではない)する。

しかしそういう姿こそが私たちが「過ちを繰り返さない」ためにも見落としていてはいけないものなのだろうと思う。

 

見えなくなるものは何か

今回、オバマ来訪によって押し流され、見えなくなってしまうものはなんだろうかと考えた。考えるだけではわからないことはわかっていた。でも私がない頭を使った結果、次のようなことがなんとなく危ないなと思っている。

・恨みや憎しみはないものとなるだろうこと。もしくは、恨みや憎しみのような感情をもつことが、もっと言いにくくなるだろうということ。

・アメリカと日本との関係が「仲良し」であることが良しとされ、「仲良し」であることによって、または「仲良し」であるために犠牲になる人たちが見えにくくなるだろうということ。

オバマさんが来てくれたことで、何か達成してしまった雰囲気になり、燃え尽きてしまう。そうして「平和」や「核廃絶」は達成されていないのに、それへ向けた行動や熱意がしぼんでしまうこと。

・過去をふりかえるより、未来志向でいきましょうとなること。過去を見つめることが軽視されること。もう過去のことを考えるのは終わりにしましょうとなってしまうこと。

 

プラハで核なき世界をうたい、結局核なき世界なんて来なかった(つくらなかった)のに、最後に広島に来て有終の美となるんだろうか。核の傘の下にいて、核廃絶を段階的に進めると言ってなんの段階も進めていない(ように私には見える)日本は、こういう時には「唯一の戦争被爆国」らしい歴史的な一大イベントを行うことで株があがるんだろうか。そんなことも考えた。

広島がただ舞台となっているような気がしてならなかった。

 

 

~~~~~~

 

オバマが来る。日程もほぼ決まった。

どんどん周りがお祭りのような盛り上がりを見せ始めた気がした。

オバマの写真とりたい」とか「オバマの英語、生で聞きたい」とかそういう声も多かった。わたしも確かにオバマさん直接見てみたいかもしれんとも思った。

 

このあたりから、私はいろんな人にコメントを求められるようになる。

毎日最低一本はかかってくる電話。メディアもそうだけど、友達とか知り合いとか、とにかくいろんな人から電話やメールが来た。

質問は、大きく分けて二つ。

オバマさん来るにあたって、何かしますか?」

オバマさんが来ること、どう思われますか?」

 

わたしは「何もしません」と答える。オバマさんに何か期待しているわけではなかったからだ。なんだか踊らされて転がされている気がしてしまったからだ。

そして先述したようなことを、自信がないなりに答える。

 

それから「あした平和公園行くんですか?」も多かった。

仕事だったから行かないんですと答えると、珍しいねという感じの答えが返ってくる。

 

予想していたよりも遥かに盛り上がっている様子に私は正直戸惑った。明日ってそんなに大事な日だったのかとまたもや気づかされた。今まで私のしてきたことに興味なんて示さなかった人たちまで「どう思う?」と聞いてきたことは素直に嬉しかった。ここでやっと、オバマさんの持つ影響力がでかいということを実感した。

 

オバマが来るぞと盛り上がっている前日、オバマが来ると何かが変わってしまいそうでこわくなり、夜平和公園を訪れた。

すごい警備体制だった。

ぼーっと立っている(ように見える)警官に「お疲れ様です」と声をかけるとピリっとした表情で足先から顔まで見られてドキっとした。

警察の車両とメディアの車両と、撮影のためのライトとで本当にお祭りのようだった。

慰霊碑に手を合わせて、供養塔に手を合わせて、原爆ドーム対岸からぼーっと川を眺めていたら、

「なんでこんな人多いの?」「あ~明日オバマか」

みたいな会話が聞こえてくる。いつものように外国人が多かったし、いつものように仕事帰りの人が歩いていて、でもちょっと人が多かった。

 

71年前の8月6日、広島は広島史上一番歴史的な場所だった。

そして何度も歴史的な街になってきたんだなと思った。

同じ場所に明日オバマが立って、花を手向けるのかと思いながら手を合わせた。

オバマが来る。そのことを被爆者はどんな気持ちで受け入れているんだろうかと考えた。

すると以前聞いたある被爆者の方の言葉が頭に響いた。

その方は、子どものころ、アメリカでエノラゲイに乗っていた軍人と対面したという。会うまでは、大事な人たちを芯まで懲らしめた張本人を、どうやって殴ってやろうかとか、どういう言葉でとっちめてやろうかとかそんなことを考えていた。けれどいざ本人を目の前にしてその人の手と顔を見た時、怒りが吹っ飛んだというのだ。

この人も人間だ。そう思ってそっと手を握ったのだそうだ。

 

平和公園に立ちながら、ここに埋もれている死者たちは何を思うだろうかと考えた。生きておられる被爆者の方たちの話をきいても、気持ちなんてよくわかりきらないのに、全然答えはでなかった。でもきっと私なら憎くて呪ってやりたくなるかもしれないと思った。

歓迎なんてできない。そう思って、ますますわけがわからなくなった。

帰って来て寝ようと思ったけれど寝られなかった。明日何が起こるんだろうか。

期待というよりも不安で不安で不安だった。

私にできることは、失われてしまう声を失われないように記憶しておけるようにしておくことだと思った。

明日が特別な一日であることは間違いない。その特別さに盲目になってはいけない。

変えてはいけないものを変えないでいられるようにしようと。そういう役割の人も必要だろうという答えに辿りついて、やっと寝た。

 

オバマは来た。

当日、オバマさんのスピーチは素晴らしかった。

よく考えられたスピーチだなと思った。

このスピーチを聞いて、「あぁよかったな。来てくれてよかったな」と思う人は多いだろうなと。

 

安倍さんのスピーチを聞いた時には(いつものことだが)やばいなと思った。

オバマさんが来ることは日本とアメリカの「和解」の象徴らしかった。

原爆ではなく戦争という大きなくくりの中で、平和の象徴として広島は利用された。

オバマさんのスピーチも、安倍さんのスピーチも、広島でなくても言えるではないかとも思った。

 

あの日平和公園には朝から日の丸と星条旗のペアがたくさん飾られていた。

被爆地に星条旗がはためく。その光景にやっぱり、「利用されたな」と思った。

やっぱりかという思いが強かった。

 

私は、正直なところ人生をめちゃくちゃにされた被爆者と、そのことを知っている人たちが「謝らなくていい」と胸を張っている気持ちがよくわからない。謝らなくていいの裏には、謝っても仕方がないから次に進むことで償ってよ。というのと、もう過去なんてどうでもいいというのとがある気がする。

被爆者が「謝罪は求めない」としたことで、それを「日本人らしくていい」と称賛するようなコメントを多くみた。良い言葉が見つからなかったのだが、隠さず言うと、この日本人らしさは気持ちが悪いような気もする。これぞ日本人の美徳というか、そういう讃えられ方と、そういう胸の張り方はなんだか違う気がする。

そして私が危ないんじゃないかと思っていたことのひとつは、一部で的中した。「日本は謝らないで加害国を受け入れる寛容な国だ。いつまでも謝罪を求める国とは違う。(主に韓国や中国を指す)」といったコメントがビュンビュン飛び交っている。「日本人らしい美」を見せつけるかのようなそういう論調は、醜いものだなと思った。

「謝るとつけあがるから、謝らなくていいんだ」そういう声も実際に聞いた。これは相手国に対してだけではなく、被爆者へも向けられた言葉であったから驚いた。

それから「戦争に悪い方も良い方もないんだ」というのも複数聞こえた。だから謝らなくていいと。今回の訪問で「戦争犠牲者」の一部として原爆被爆者を捉えられたことは、これからとても大きな障害になるだろうなと感じた。

「謝る・謝らない」が今回の一件を考える軸として存在していることはそもそもなんだか間違っているような気がしてならない。謝れない理由はなんとなくわかるが、謝らない理由は私にはわからない。「謝らなくていい」とすることは、一種の責任逃れなような気がする。「謝らなくていいです。こっちも謝りませんから。」そう言っているような気がするからだ。謝ることが過去に固執することならば、未来志向的な発言や行動は、明るくて可能性を秘めていて輝かしいものに見えるかもしれない。しかし過去のことを置き去りにしてそれをするのはやっぱりおかしい。加害と被害のあった当事者の存在はそこには抜け落ちているようにも思う。

 

「過ちは繰り返しませぬから」はいろんな議論を生む文言ではあるが、広島が耐えず過去を顧みる土地であるということを示してくれているのではないだろうか。未来志向になる度に忘れそうになる大小さまざまな記憶と教訓の数々に、広島はずっと足をつけていられる貴重なところだ。そしてそれがゆえの役割を持っているのだと思う。

 

 

オバマ来訪を手放しで喜んでいてはいけないと思っている。そしてそう考えている人が周りに結構な数いるということもわかってきてほっとした気持ちもある。今回の「オバマが来た」という事実は、広島がまた広島の役割や課題について向き合うための大きなきっかけになったのではないかと感じている。

これだけ注目される都市だということを自覚して、しっかり考えながら、地に足をつけていたい。そして予想した通り勝手に意味づけされたヒロシマではなく、見えない者や聞こえないものをできるだけ拾って残していくために、感覚を研ぎ澄ませていたい。