ヒバク証言を、消費してはいないか。
まずは、近況。
卒業論文提出まで残り10日となった今日、指導の先生に「かなり問題があります」と指摘され、
書き直しになりました。
泣きそうになりながら、書き直していますが、
「なんとかなるでしょ!」と、
好奇心の向くままに日々過ごしていたら、どうにもならない事態になってしまいました。
自業自得なので諦めて頑張るしかありません(笑)
先延ばし、先延ばしにしていると、論文というのは「間に合わない」もんなんだと、痛感しました。
反省。もう絶対繰り返したくない失敗であります。
「お前の熱意はそんなもんだったのか」「協力してくれたタヒチのみなさんに顔向けできるのか」
そう心の声が言っており、情けなくて、いなくなってしまいたい。
が、これが私なのだと、戒めながら受け入れながら、、、、。
さて。
書きながら思ったこと
書きながら思ったこと。そして前から思っていること。
ヒバク証言を、消費してはいないか。
ヒバク証言、広島では、あって当たり前のものとなっているでしょうか。
今まで、きかせて下さいと言って、お願いしてきいてきました。
ヒバクの話、きけばいろいろ感じます。
本当にさまざまなことを学びます。
もっと勉強したいと思い、もっともっととききたくなっていた時期もあります。
そのときに思いました。
ヒバク証言を、消費してはいないか。と。
わたしは、被爆者の話に「何か」を求めてはいまいかと。
自分の「何か」を満たすために、記憶をおこさせ、話させ、
満たされた私は、次へと向かってゆく。
たとえその「何か」が、勉強や反核活動であったとしても、
それでよいのか。
そう考えた時に、「若い人につないでいってほしいんよ」という想いにこたえることが、私が提供できる対価ではないかと思いました。
少々オーバーな言い方に聞こえるかもしれませんが、
ヒバクシャは、実験台として利用されてきました。
広島・長崎のまちや、ヒバクシャは、調査され、データをとられ、その結果のすべてが公表されているわけではありません。
はだしのゲンの漫画の中には、ヒバクしたことによって病気の症状が出た人に、
ABCCが「検体」として番号をつけていたという描写もありますが、
それがヒバクシャが感じてきたことを表していると思います。
ヒバクして、研究に使われる、と。
これが、繰り返されてはいないだろうか。
私は、繰り返してしまってはいないだろうか。
タヒチにインタビューに行き、ヒバクの話をたくさんきかせてもらいました。
重い口を開く人も、中にはいました。
その話を、きかせてくださいと言って、外国人のヨソモノの私は話をきく。
そして、自分の卒業論文を書く。
わたしの目的は達成される。
核は、大国によって開発され、先住民や、周縁に位置する人たちを犠牲にしながら開発が進められてきました。
おそらく、ヒバクに関する研究も、大国によって行われ、先住民や、周縁に位置する人たちから話を聞きながら、進展していきます。
「ヒバク」は、大国のためにずっと利用されていてよいのだろうか……。
そんなことを思います。
ずっと再生産、再搾取、再体験の繰り返しでは、同じことだと思う。
私は、きちんと対価を提供していきたい。
平和活動だと言って、ヒバク証言を聞く人たちは大勢いる。
その活動は本当に「平和」だと言えるのか、問い直し続けたい。
わたしも。みなさんも。
そんな思いを持っていますが、論文はまったく書けません。
口だけ達者で、かたちにならない私は、そうやってずっと奪い続ける「大国」の人間の一人なのかと。
「都合があって…」と言い訳をすることは簡単。このままではいけないと思っています。