おすそわけ

タヒチの人々に教えてもらった大切なこと。広島の原爆の経験から教えてもらったこと。日々沢山のうれしい出会いの中で、見たこと聞いたこと、考えたこと。おすそわけ。

Do not take from the land, if you can't give to the land.

今回は、記事でもなく、思っていることをダラダラと書き綴ってみたまでですので、

私の個人的な感情たっぷりてんこもりでございます。

書いてみた文章を、表に出してみたいと思った、ただそれだけの散文です。

積極的におすそわけはしません(笑)

「日記」に「鍵」をかけて公表していた高校生の頃を思い出しながら(笑)、綴ってみました。

 

明けましておめでとうございます。

2016年、今年も家族みんなで大晦日の夜を過ごすことができました。

おばあちゃんも、太郎くんも、天国で見守ってくれているかな。

いろんな出会いと別れがあった2015年でした。

出会いのほうが多かったけれど。

元には戻せない別れもたくさん経験しました。

大事な大事な1年の区切りなので、少し思っていることを言葉に。

 

駆け抜けていった2015年

思い返せば、本当に色々なことがありました。

必死に単位をとりまくった2月まで。

3年間力を注いだ活動への終止符と、たくさんの友達が卒業していった3月。

沖縄にも行きました。

メッセージ&フォトブック『No Nukes』の出版と、たくさんのイベントに全国を駆け巡った4月、5月。

はじめての大阪での演奏活動。

夏には、テレビや新聞にたくさんお世話になって、イベントもたくさんして、会いたかった尊敬する皆さんとご一緒することが叶いました。

8月は、いつものように広島にいることを噛みしめ、長崎にとって大切な日に長崎の土を踏むことも叶いました。

朗読劇でバイオリンも弾かせてもらいました。

人生初、「作品」をつくってギャラリーに展示しました。

そしてタヒチで過ごす1か月がありました。

大好きな友達とたくさん旅行をして、おいしいものを食べて、女性としての自分についても考えるようになりました。

バイトでもプライベートでも、英語で話すことが増えました。

お酒がおいしくなりました。

そしてあっという間に年末です。

年末、集まる人たちが愛しくて仕方ありません。

大好きな人たちに囲まれて、成長させてもらいました。

 

Giver と Taker

実は、タヒチから戻ってからは、のんびりと過ごしていました。

やることはたくさんあったのですが、手につかないほど、考え込んでしまう出来事がたくさんありました。

いい機会だったなと思います。

そのうちの一つは、タヒチで教わったことです。

 

タヒチでは、農家をしているおじさんの家に大変お世話になりました。

ステイ先のおじさんと、一緒に私のためにステイしてくれたお姉さんと、3人での生活でした。

2人は、私の研究にとても親身になって協力してくれました。

農作業の仕事の時間を、インタビューのための移動や通訳、私へのアドバイスのために使ってくれました。

体調がすぐれなくても、私のためにいろんな体験をさせてくれました。

一か月の滞在の間、本当にたくさんのことを教えてもらったんです。

そこで教わったひとつの言葉が、グっと心にすわっています。

 

Do not take from the land, if you can't give back to the land.

Do not take from someone, if you can't give back to him/her.

 

与えることができないのならば、奪ってはいけない。

この言葉について、少し思い出を書いてみます。

 

タヒチでの私は、ひどいものだった。

私は、タヒチで、人生で今まで経験したことのないくらい、人に迷惑をかけてきました。

自分が何をしたいのか。自分が何をお願いしていいものか。

遠慮してしまって、どうしたらいいかわからなくて、足踏みを続け、口をもごもごとさせる毎日でした。

言葉も満足に使うことができず、伝えたいことも伝えられず、

自分に何ができるのか、どのように毎日を過ごしていいものか、わからないことばかりでした。

 

ある日、言われてしまいました。

 

”You have two big problems. One, you are too naive. You are not critical at all. Two, you are not clear. I can't understand what you are doing.”

 

みんなの前で言われてしまって、今すぐ逃げ出したい気持ちになりました。

でも、自分が何もできていないことはわかっていた。言われて当たり前。

だけどどうしたらいいのかわからなかった。

わからないからって、何もしないでいいとは思えなかった。

何かしたい。落ち込んでいる時間はもったいない。

言葉でもなく、お金でもなく、ものでもなく、「私」が問われていました。

 

その問われた「私」は、結局何をすることもできずに、帰ってきてしまいました。

 

お世話になるとは、大変なことだ。

「自分が何をしたいのか」それを突きつけられることが苦手です。

だからいつも、「行ってみれば何かみつかる」という大きな甘えと、「ここにいれば何かがやってくる」という無責任な期待とに頼ってしまっていたのです。

その気持ちが、100%の準備につながらず、穴だらけの雑な装備になってしまう。

それが、突きつけられた「私」の大きな課題だったように思います。

 

私は、今まで実家で育ち、自分のことをすべて自分でしなくてもいい環境で育ってきた。

何をするにも、支えてくれる人がいて、道筋をつくってくれる人がいた。

大学だって、選んで決めたわけじゃない。大学しか選択肢を知らなかった。

大学でしてきた数々のことも、周りの流れに乗っかっていた。

与えられたものをそつなくこなし、与えられた中で少し自分流にすることで「自分でできた」と思いこんでいた。

でも、そんなに世の中は簡単ではなかった。

実は、何もないところで何かを作り上げることが、こんなにできないんだということに向き合わざるを得ませんでした。

 

落ち込んでしまった時、お姉さんに「お世話になるというのは、とても大きなことなんだよ」と教わりました。

「自分のことを自分でする。自分にできることを、自分にできるかたちでどんどんやってみる。」

そのうえで、

「お世話になります!よろしくお願いします!迷惑、かけさせてください!!」

といえばいいのだと。教えてもらいました。

 

教えてもらったからと言って、すぐにできるようになるものではありませんでした。

とても悔しくて、とても情けなくて、とてもとても不甲斐なくて、とてもとてもとても申し訳なくて、

タヒチから戻ってからは、タヒチでのあれこれを思い出すことを拒否していました(笑)

 

でもやっぱり、私はタヒチで暮らした日々が好き。

 

土と共に生きる。人と共に生きる。

おじさんの生活は、土と共にあるものでした。

朝起きて、豚に餌をあげにいく。

若者をトラックに乗せ、トラックにいっぱいの畑への栄養を積んで、畑へ行く。

午前中は畑で作業をし、お昼寝をして、収穫したものの加工をする。

 

友達が来ると、「これをもっていきなさい」と言って、今朝とれた作物を渡す。

売るはずだった作物も、うちに来た人たちに惜しみなく分け与える。

友達は、おじさんの大好きなビールやお酒、お魚を持ってうちに来る。

一緒にお酒を飲んで、いろんなことを話す。

 

たまにバイヤーがやってきて、収穫した野菜や果物を買っていく。

作物を売って手に入ったお金は、地元の農家さんがつくった、うちにない野菜を買うために使う。

道端のお店で500フランでトマトを買う。

その500フランは、きっとお店の彼らのご飯に変わる。

 

日曜日の朝は、市場に行って、パンやココナッツの加工品を買ってくる。

そして日曜日にしか食べないちょっとしたごちそうを作って食べる。

スーパーにはめったにいかない。

チーズとパテを買うときだけ。

 

ある日、パパイヤを剥くおじさんが、手を止めてお話してくれました。

「こうして生活していくことは本当に難しい。本当に大変だよ。だけど、これが"Quality of Life"だ。」

 

タヒチはフランスの事実上の植民地であり、タヒチの伝統的な農業と漁業を基本とした暮らしはだんだんと失われつつあります。

みんなスーパーで買い物をするし、農業や漁業の方法を知らない若者も増えているといいます。

その中で、土と生き、人と生き、自然と生きるおじさんの暮らしは、簡単なものじゃない。

だけど、とても豊かだと思った。

こうして暮らしていける人になろうと。

私にとっておじさんの生活は、憧れの生活から、目標とする生活になっていきました。

 

Quality of Life

先ほどのGiver とTakerの話に戻ります。

日本に帰ってから、お姉さんにまたひとつ教えてもらいました。

 

おじさんの言葉には続きがある。

"If you take and don't give back, you are a colonizer."

奪うばかりでお返しをしないのは、入植者のすることだ。

 

と。

 

体じゅう、頭じゅう、心じゅうに、電撃を受けた気持ちでした。

 

私が今までしてきたことは、taker だったのだろうか。colonizerなのだろうか。

たくさんのものを、たくさんの人から、たくさんの時間をかけてもらってきました。

ご厚意に甘えて、「ありがとうござます」と言って、なんでも受け取ってきた。

 

だけど、私は十分なお返しをしてきただろうか。と内省したとき、

答えはどう考えても「No」なのです。

taker であり、colonizerだっただろうと。

 

わたしが大学で興味を持って学んだ「平和でないもの」は、

こういう心が生み出しているのかと。

私自身が、他人から搾取する主体でありたくないと強く思いました。

 

恩返しをすることの重み

これまでのことも、タヒチでのことも、私は十分にgive backできていません。

give backするには、十分もなにもないかと思うのですが、

その場、その時だけがgive backするチャンスではないということも学びました。

これから先、お世話になった多くのみなさんに、お返しをしていくことを忘れたくありません。

今まで使っていた「恩返し」という言葉は、もうどこかへ薄まっていってしまいました。

今、私が「恩返し」に込めるものは、自分のどうしようもない失敗への反省と、おじさんとお姉さんが言葉を尽くして伝えてくれたgiverの精神です。

恩返しをいろんなところにしながら、土と共に、人と共に、暮らしていきたいと思います。

 

2016年に思うこと。

今年、私は大学を卒業します。

自分でお金を稼ぎ、自分で暮らしていく立場になります。

 

一般的な就職活動は、しませんでした。

ちょっぴりの不安と、どでかいわくわくがあります。

 

まず最初に卒論を書きあげて、そして韓国に研修に行ってきます。

そのあと、仕事がスタートです。

 

昨年1年通して学んだことを、しっかり世界にgive back、恩返ししながら、

若さを背負って、がむしゃらに夢を追いかけてみようと思います。