フランス語で自爆テロのことは”KAMIKAZE”という。
今日、フランス文明論の授業で、先生が教えてくれたこと。
フランス語で自爆テロのことは "Kamikaze" という。
気になって、タヒチの新聞記事を調べてみました。
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フランス語は読めないから記事の内容までわからないけれど、
確かに les kamikazesとなってる…。
Kamikazeは、神風で、特攻隊のことだよなぁ…。
そしてNew York Timesのこの記事にも”Kamikaze bomber”と出てくるんですね。
Who Were the Paris Attackers?
むむむっ。
自爆テロってこわい。
今回のパリでの事件が自爆テロだったことも含めて、自爆テロってなんか恐ろしいものだという感覚がある。
私にとっては、アメリカの9.11から「自爆テロ」という言葉は結構自分には縁遠いもののような気がしていました。
なんかよくわかんないけど、自分の体に爆弾くっつけて、飛び込んで周りの人たち巻き込んで……。みたいな。
自爆テロ…こわ…。と。
なんておっかないんだと思っていました。こわすぎる。
止められないしそんなのは狂気だとも感じていました。
今もそう思ってるかもしれない。
そして、テロって聞くと、中東が浮かんじゃうし、イスラムっていう言葉が浮かんじゃう。
「こわいな~」のイメージがそこにつながっちゃうのはとっても残念。
中東やイスラムがこわいのではないということを、いつも思ってはいます。
で、そういう「自爆テロ」のことをKAMIKAZEと呼ばれていると。
このモヤモヤを言葉にしてみようとしていますが、うまく行くかはわかりません(笑)
日本の特攻隊KAMIKAZEは、HERO?
自爆テロがKAMIKAZEと呼ばれていることを知って、
日本の特攻隊を私がどんなふうに教わってきたかを考えました。
私は、小学校の時に初めて特攻隊の話を聞いたのを覚えています。
お国のために、自分の体を使って戦った人たちは、なんて勇敢なんだと思いました。
私が聞いたのは美談でした。そう記憶してます。
そして、大ヒットしたこの映画も特攻隊を題材として、「壮大な愛の物語」として描かれるわけです。そして、「感動」するわけです。
特攻隊として出て行った人たちは若い男の子たちが多かったと聞きます。
一人一人にドラマがあり、過酷な戦況の中、お国のために死んでいった。
わたしもまだ勉強不足だけど、本当にみんな「勇敢」「英雄」でいいのかどうかは、疑問。
死ななくてもよかったんじゃないか…。とか。思っちゃう。
確かに感動する物語にはなるけど、感動していていいのか?とも思っちゃう。
だけど、私の中には特攻隊に対して、少なからずheroismのようなものを感じる何かがあるんです。
憧れとか、尊敬とか、同情もしているかもしれない。
そういう「神風」が「自爆テロ」と同じ意味で自然に使われていることを、私はどう受け止めたらいんだろう。
”KAMIKAZE”に日本を投影する
KAMIKAZEって言うってことは、そこには日本のことを投影しているんだと思います。
私が外国のニュースをみて「自爆テロ…こわ…」と思ったように、
KAMIKAZEと使う人たちには、
おそらく「自爆テロ…こわ…」の中に「日本の特攻隊…こわ…」のニュアンスがあるんだと思うんですよね。
日本っていう国が、どんなふうに外国から見られているか、わかっちゃう気がするんですよ。
特攻隊とかやっちゃう国。
狂気だ…と私が思った自爆テロのイメージを、日本にも持っているんじゃないかと。
KAMIKAZEなんて言葉を世界中で使われる言葉にしちゃった、というかそういうことを平気でやっちゃった日本って、
「自爆テロ…こわ…」
とか言ってていいのか?!
いい気がしない。
テロリストも人間である。
前に、『Paradise now』という映画を見ました。これが予告かな?
パレスチナ難民キャンプの2人の青年が、イスラエルに自爆テロに向かうという話。
2人の目線からみた「テロ」を描いています。
それと、もう1つ『21 Hours at Munich(テロリスト・黒い九月 ミュンヘン)』という映画も見ました。
You Tubeに全部あがってたけどいいのかな?笑、
Black septemberとも呼ばれている映画です。
ミュンヘンオリンピックでのテロを描いています。
この2つの映画を見てから、「自爆テロ…こわ…」ではなく、自爆テロする人たちの目線に立つことにトライするようになったんですよね。
彼らにも生活があっただろうな。いつもどんなもの食べてたのかな。
お母さんやお父さんはどんな気持ちかな。
何より、彼らの気持ちはどうだったかな…と。
死ぬのが怖くないわけ、ないだろうな…とかも。
テロリストも、人間だと思うことって大事じゃないかと思うんです。
自分がテロリストになるかもしれない。
友達がテロリストになるかもしれない。
テロで被害にあったことがないから、私はこういうことを言えるのかもしれないけど、
そういう「テロリスト」に目線を変えることって、不可能ではないと思うんです。
テロリストも人間である。を一番わかっているのは日本人では?
で、ここで、テロリストについて考えていた自分のことをふりかえってみる。
テロリストって言うから、全然結びつかなかったけど、結局、特攻隊を考えることとテロを考えることは、一緒じゃないかな。
テロの定義もあんまりはっきりとはわからないので、曖昧な話だけど、
「自分で爆弾持って突っ込んでいって、自分も一緒に死ぬ」
という行為は、KAMIKAZEを実行していた歴史を持つ日本にとっては、
そう縁遠いものではないですよね。
だって、KAMIKAZEに行って死んでいった人たちに思いを馳せるし、
彼らに人生があったことも知っているし、
「お国のために」と思っていた、なんてことも知っているわけでしょ。
感情移入しちゃったり、共感したり、尊敬したりするし、英雄だと思える節があるでしょ。
それをそのまま「自爆テロ」にあてはめること、できますよね。
『Paradise now』にも "We will take care of everything here and commemorate your heroism."という言葉が出てきますが、
きれいな軍服を着て、万歳を浴びながら飛び立っていった特攻隊と重なる部分がある気がします。
「テロは脅威だ」でいいのか?
”KAMIKAZE"の発祥地である日本は、テロは脅威、それだけで世界を見ていていいのでしょうか。
そういう疑問がわいてきます。
日本の安保法案もテロ対策という側面がありますよね。
フランスも、テロに対抗してシリアを爆撃しました。
アメリカも、テロに報復して戦争を始めました。
その「テロ」、「テロ」のまんまでいいのでしょうか。
「KAMIKAZE」を考えて、そんなモヤモヤを感じています。
この記事、テロの定義もよくわからないし、テロと自爆テロをおんなじにして書いているので、
しっかり勉強している人たちにたくさん教えて頂きたいところですが、
自爆テロがKAMIKAZEと報道されていることを、日本人の私として、大きく受け止めているのです。
みなさんどう思いますか?